年末になると、母は嬉しそうに代官山へ向かった。
お世話になった、あの人や、あの人に渡す
レーズン・ウイッチを取りに行くためだ。
予約した日の朝はいつもご機嫌だ。
「やっぱり、レーズンウイッチは小川軒よね」
そういって、取り立ての免許で自家用車のハンドルを握り、袋いっぱいにあの、
白と淡いオレンジ色の包み紙にくるまれた箱を、持ち帰ってくる。
甘い甘いクリームが冷えてすっきりとし、
レーズンは袋詰めで食べるスーパーのそれよりもみずみずしい。
クッキーは、しっとりしているのにしけってるわけじゃない。
歯を当てると途端に、粉も、砂糖も、バターも、全部がほどけるみたいに口に広がって消える。
うん、書いていると余計に食べたくなる。
でも、そんな魅力がわかるようになったのは大人になってからで、
正直、子どものころはさほどの価値を感じていなかった。
家で食べるお菓子なら、
地元・府中銘菓の「鮎の里」や、「武蔵野日誌」のほうがうれしかったかもしれない。
ただ、そうやってうれしそうにでかけていく母、
全力で小川軒ブランドを礼賛する様子に、「これは価値のあるものに違いない」と
思ったのだった。
だから毎年一度は必ずレーズン・ウイッチを頬張って、私は新年を迎えた。
「頭で食べる」ということをしたのは、このときがはじめてかもしれない。
その後、レーズンウイッチにも、小川軒にもいろいろ種類や事情があることを知ったが、
今でも私は小川軒・代官山派だ。
・
いつの間にか、母は小川軒に行かなくなって久しい。
でも、そういう買い物のときめきや楽しさ、華やいだ気持ちは、
私に種として蒔かれ、今しっかりと芽吹いている。
消費は悪、とは限らなくて、いつも手作り、というだけじゃなくて、
お金を支払うことで人の技を応援したり、敬意を伝えたり、街との関わりを深めたり。
そういうことがうれしいって思う気持ちは、もう変えられない。
そういうふうにしかもう、生きられない身体になっている。価値観、というやつだ。
・
そして、
今かんがえると母は私に決して、
「いいこと、レーズンウイッチは小川軒なのよ」
とは言わなかった。
「やっぱり、レーズンウイッチは小川軒よね」。
洋服に関しても、演劇に関しても、何に関してもそう。
昔も、今も、上から目線の教え諭しをしたことがなかった。
むしろ、
私が知っていることはすべてあなた、知っているでしょう、という態度で接した。
なぜだか理由はわからないけれど、そうしてくれていた。
それは、今かんがえると、
とてもありがたいことだと思う。