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  • 執筆者の写真Mikiko Tamaki

私の宝もの


望んでもなかなか手に入るものではなくて、それなのにたまたま自分にはあるもの。

そういうものを宝ものと呼ぶとき、からだが丈夫なことに加えてもう一つ、私には大きな宝ものがあると思っている。

それは、祖父母と暮らした日々。

うちは、父の両親と同居する、典型的な?昭和の長男坊の家だった。

若い頃はびっちりと鬢付け油で七三にしていた、ソフトテニスが趣味だったという祖父。私が幼稚園のころに自動車事故に遭い、以来長期間の記憶ができない身体になってしまったのだけれど、それ以前の、健康だったころの祖父との思い出もちゃんと記憶に残っている。

なかでもいちばんは、家庭菜園も趣味の一つにしていた祖父が、私を自転車の前のカゴ(!!)に乗せて、ハケの下の市民農園に連れていってくれたこと。母になった今考えると、そんなアクロバティックな自転車の乗り方は恐怖でしかないが、シャーっと坂を下る爽快な感覚は、今も私の身体のなかにある。

事故のあとも、患ってはいたが長く生きてくれた。牛革のソファに跡がつくくらい、いつも定位置に座ってテレビを見ていた祖父のにおい。かさかさしてゆるんだ肌の感触。夕方6時になると必ず観て譲らない、NHK大相撲のワーワーという歓声。

煩わしいと思ったことがなかったといったら嘘になるけれど、老いた人、意思疎通がままならぬ人と暮らした日常は薄くしかしたしかに降りつもり、発酵して私の心のなかのなにかを育んだ。

祖母は、そんな祖父の面倒を見ている間はじつにしゃっきりとした、デキる女だった。

山野草が好きで、祖父が盆栽を管理できなくなってからは、ホタルブクロとか、テッセンとか、小さくて可憐な花を少しずつ庭に持ち込み、庭いじりをしていた。

手芸はプロ級、というか、機械編みの内職をして家計を助けていたからほぼプロだ。私が淡い恋心かなんかで「編み物をしたい」と祖母に習おうとすると、モタモタする私の手からいつの間にか編み棒を取り上げて、結局全部自分で編んでしまっていた。

仲間とあちこちの山歩きをするのが大好きで、「ここからね、こうやってぐるーーっと登って、ここにいったの」と、私に逐一報告してくれた。何度聞いても地図が頭に入っていない私にはちんぷんかんぷんなのだけれど、嬉しそうな祖母の話す様子を見ているのがなんだか嬉しくて、わかったふりをして、ふんふんへーと聞いていた。私のことも、たぶん未就学児のころから、近くの低山に連れていってくれたと思う。高尾山で祖母と食べた熱い熱い三角のこんにゃくおでんの、甘いみその味を今でも覚えている。陣馬山を縦走し、相模湖まで下りたのは、小学校何年生のことだったろう。

家にいるときには、タバコの空袋とつまようじで番傘のミニチュアをこしらえたり、千代紙で日本人形を作ったり。とにかく手先が器用で、山と手芸を愛する誇り高き人だった。

祖父を見送ったあとほどなく、安心したかのように祖母は認知症を発症した。最初はリウマチからだった。あんなに元気に山登りをしていたのに。なかなか受け入れることができなかった。

まだ、正気と恍惚の間を行き来するいわゆる「まだらボケ」だったある日の夕方のことは忘れられない。すでに一人暮らしをしていた私がひさしぶりに実家に帰り、その頃飼っていた犬とともに、祖母のお気に入りの散歩コースを歩いた日のこと。

祖母は、散歩の達人。東京郊外の住宅地のなかでも、丁寧に庭を作っているおうちの脇をとおったり、ちょっと雰囲気のある路地を歩いたり。祖母と私の散歩のセンスはぴったりと合っていて、でも、この頃ちょっと様子がおかしいと母から聞いていたことが気がかりだった。この時よ、永遠なれ。そう思いながら祖母と犬と、どんどんあるいた。

空が夕暮れの色に染まり、線路沿いの細道にさしかかったとき。祖母がふと口を開いた。

「みきちゃん、ごめんね。おばあちゃんだんだん、ばかになっていくみたい」。

あんなにも誇り高い祖母が私にそう打ち明けた。おばあちゃん。何いってるの。私はそういいながら、とっさに写真を撮ったと記憶している。細い細い、骨と皮みたいに細い祖母の身体。淡いベージュやえんじ色のサラサラ揺れる服。

その散歩コースは、そのあとすぐに、駅の建設のためにほとんどすべて、取り壊されてしまって、今は見る影もない。だだっぴろい関東ローム層の平地をさらに平たくして、ばかみたいに大きなスーパーがどかんと建った。

祖父母との思い出も遠くなるようだ。しかし、祖父母との思い出は身体感覚とセットになっているから、今でも強烈に近く感じることがある。あと、世界中のおじいちゃんとおばあちゃんに、自分の祖父母を重ねる。世界中の緑がつながっているみたいに。だから、いつでも遠くない。

母方の祖母の布団も大好きだった。高齢者が整えた寝床の、極上の心地よさ。

そういうものを知っている自分は、ほんとうに宝ものを持っていると思う。


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